ビッドのパターン




たいていのトリックテイキングではビッドをする。ハーツやホイストなどしないゲームもあるが、少し複雑なゲームになるとだいたいビッドか、それに似たものが入ってくる。そのビッドが実際どんなことをやってるのか、何のためにやるのか、そういうことを考えてみたい。
なにせ伝統ゲームだけあって例は枚挙にいとまがない。そこで、既存のゲームから典型的なビッドのパターンをいくつか整理してみる、というのがこの文章のメインになる。パターンを並べながら、それがゲームに対してどう作用しているか、ということも見ていきたい。

歴史的なことには不案内なので、どのゲームがどう影響したか、ということは扱わない。時代はあまり考えず、作品のメカニクスを横一線に並べる。ゲームのルールは詳しく書かないので各自検索されたい。
あとは、細かく突っ込むわけではなく見通しを示すだけで、詳しい人にとって新しい知見はたぶんない。自分や誰かがこの先もしトリックテイキングを作りたいと思ったときに発想の出発点になればいい、そのくらいの気持ちだ。

定義


厳密な定義をしたいわけではないが、こういう議論の常として辞書から始めたい。元が英語なので英語の辞書(Oxford Advanced Learner's Dictionary)をひく。

bid (v)
1: (a) to offer a price in order to buy sth, esp at an auction. (b) to offer a price for doing work, providing a service, etc.
2: (in certain card-games) to make a bid(4).

カードゲームにおいては2の意味ということで、名詞のbidもみておく。

bid (n)
4: a statement of the number of tricks a player proposes to win in a card-game.

「カードゲームでプレイヤーが勝ちたいと提案するトリック数の宣言」というので、定義としては大過ないだろう。
ただここで注目したいのは動詞の1の意味のほうで、オークションで購入金額を提案する、つまり競り値を言うことがbidの本義である。トリックテイキングでビッドというとき、要するにあれは競りをやっているのであって、自分の勝ち数を対象にしてより高値をつけることを競うのだ。当然競りなので落札者もいるだろう、ということになる。
このくらいをまず補助線として引いたうえで、ではそこで何を競って(ビッドして)いるかというのを、実際のゲームに例をとってみたい。


トラディショナルなビッド

■勝ち数のビッド

いちばん簡単なビッドは、上の定義そのままに、単純に取りたいトリック数を宣言するものだ。プレイでそれを取れれば即目的達成である。
簡単な例としては、ナップがある。個人戦で、単純にいちばん高いビッドをした人が競り勝って、それを達成できるかどうかチャレンジする。手札が5枚なのでビッドは2〜5まである。それでもいくつか工夫があり、3と4のあいだにミゼールがあり、5のビッドに対してはウェリントンという得点が倍のビッドがあり、手札の強さが即勝敗につながるだけではないようになっている。
ビッド全般にいえるが、ここで競りにかけているのは点数(チップ)の権利だ。ナップでは勝てばビッド数のチップを各自から受け取り、負けたら各自に支払う。人数が増えるほど動く点数が急激に大きくなり、そこで射幸心を煽るというのは、典型的なギャンブルゲームの仕組みだ。
原則トリック数が大きいほうが強いから、手札運によるところは大きいが、単純に数字を競るだけでもすこし勝負に綾が出る。

こう書いたが、じつは上の説明はちょっとごまかしている。
というのも、ナップには切り札があり、切れるスートはデクレアラーのオープニングリードである。つまり実際には、競りにかけられているのは得点だけではなく切り札を決める権利とのセットだ。このゲームにはスートに強弱がないので、手札のスートが寄ってさえいれば概ね何でも戦える。
切り札を自分で決められることで、単純に数字を言えるのとは別の意味が乗ってくるのだが、その前にもうひとつ異なるビッドの方式をみてみたい。

■切り札のビッド

勝ち数ではなく、切り札を競るというビッドもある。
この例は、ユーカーがわかりやすい。切り札スートは山からめくれた1枚を候補にして、それで勝負するかどうかを時計回りに競る。先に手を挙げたらビッド成立だ。それでパスしたら今度は自由にスートを言え、同じように最初にスートを言った人が競り勝つ。
手札5枚で3勝すればとりあえず勝ちは見込めるし、カードが24枚しかないので見通しはつきやすい。切り札は固定に近いが、それを破棄もできるので、いくらかプレイヤーの裁量に委ねられるところがある。

さらに複雑にすると、勝ち数と切り札の両方をビッドに含めたりする。
ユーカーの派生型であるファイブハンドレッドは、切り札と勝ち数をセットにして宣言する。当然、同じ数字で切り札を変えたい場合はどうするのという問題が出てくるので、このゲームではビッドスートに強弱がある。切り札を値付け時に公開するため、相手のビッドから手札をある程度推測できるというのが、この方式のポイントだろう。
ブリッジもこのタイプで、勝ち数と切り札をセットで言う。ブリッジの場合はペア戦かつソフトパスということで、一度パスして相手の顔色をうかがったり、ビッドからペアに自分の手札を伝えたりできる。競り本来のギャンブル的な側面にかわって、情報交換がより前面に押し出されてくる。そうなってくると、ビッドの技術も洗練されてくる。

さきほど、切り札のビッドは勝ち数のビッドと意味が異なる、ということを言った。
切り札はプレイングにおいては1つのルールであって、そのルールを競りにかけられるということは、手札にかかわらず勝負のルール自体を自分に有利なほうに変えられる、ということを意味する。
いっぽう勝ち数の宣言は、切り札のようにルールを変えていない。所定の切り札、フォローの規則、その中で勝負できるかを問うているだけで、ルールに則った範囲で手札の強い人が勝つ。だから勝ち数だけではビッドしようがしまいがほとんど意味がないのであって、その手札運を自分に有利なほうに寄せて、初めて競りをする意味がある。その寄せをどこまでできるかという点が、腹の探り合いになるわけだ。ビッドの要諦のひとつは、このように手札の有利不利をいかに減らすかということにある。

■追加宣言

ビッドで賭けられるのは切り札だけではなく、それ以外の条件を上乗せして競り値をさらに上げる方法もゲームによってはあり、よく追加宣言などと呼んだりする。
ナップに似たドイツのフィプセンというゲームがあり、勝ち数と一緒に3種類の追加宣言を乗せられる。宣言にはハンド、ルーテン、ドゥルヒの3種類があり、それぞれ手札で勝負、1枚しかないダイヤを切り札にする、全トリック取る、という意味だ。それぞれ細かい制限というかルールをプレイングに追加することで、得点を倍にできる。
手札で勝負というのは、フィプセンには配り残しがあって、デクレアラーは通常自分の手札と配り残しの一部を交換できるが、それをやらないという意味だ。逆にいうとビッドでは、手札を交換して有利に整える権利(可能性)も、競りの対象に含まれている。

スカートでは、フィプセン同様のハンドに加え、絵札点の3/4を取るシュナイダー、手札を公開して勝負するウヴェア(オープン)等もあり、競りの俎上に乗るルールはさらに多彩だ。このアドベントカレンダーの2日目にルールを書いたので、詳しくはそちらを参照してほしい。
このゲームで面白いのは、切り札に宣言にゲームの種類にと、ソロイストが決める要素が多いにもかかわらず、ビッドで言うのはゲーム点の数字ただひとつだ。なぜかというと、ゲーム種類・切り札・追加宣言のすべてに対して所定の点数が設定されているため、それをゲーム点の計算式に入れれば済むからだ。切り札に対しては基本点があり、そこに宣言や手札の偏りを係数換算して掛けて、ゲーム点を計算する。それが達成できるかどうかを競る。

このスカートに典型的だが、ビッドのもうひとつの特徴は、システムを競りの一点に集約していることだ。
切り札のビッドはゲームのルール自体を変更していることを上で言ったが、追加宣言についても同じことで、様々なルールの上乗せや変更がプレイヤーの裁量でできる。トリックテイキングにおいて、カード枚数やプレイでのフォロー規則、切り札などがルールの一階だとすれば、ビッドは二階だ。プレイングやカード分配などの様々なルールを対象にして、一段上からそれらを採用するかしないかを決められる、いわばメタ・ルールであって、ここを基点にしてゲームプレイを制御する一種のゲームエンジンとなっている。
競り勝った人によって毎回のディールにおけるルールが決定されるので、見通しはよい。さらに毎回ゲームルールが変わることが展開の多様さを生む。多量のルールを集約し、かつ多様さを担保するという点で、競りのシステムが効果的に作用している。


イグザクトビッド


ここまではトラディショナルなビッドの話をしたが、もうひとつビッドについては触れておきたい方式がある。

オーヘルというゲームがある。個人戦で、全員が時計回りに勝つトリック数をビッドし、そのビッド数をもとにプレイする。ビッドの勝者は誰になるのか? いない。全員のビッドが宣言のとおりに通る。では全員がそこそこ低い数字を言えばいいだけではないか?
このビッドにはもうひとつ特殊な点があって、オーバートリックが点数にならない。当然アンダートリックでも点数にならず、ビッドしたトリック数ぴったりでなくては高得点を獲得できない。こういう「ちょうど」を狙うビッドを、イグザクトビッド(exact bidding)という。

全員が同等の価値で値付けをできるので、ビッド本来の意味である競りではもはやなくなっているが、歴史的にビッドと呼んでいるのでそのまま用語が使われているのだろうと筆者は思っている(最初の定義でも、カードゲーム用のビッドで意味が切り出されているのは、言葉の意味が独立していることのあらわれである)。言葉にはそういうことがよくある。
本来の競りとは違うタイプの宣言だが、競りでないかたちで手札運の緩和やゲーム性の担保をしている。まず全員がビッドできるので、オポーネントがいない。毎回デクレアラーとしてプレイできるので退屈しない。さらにここではゲームの目的が変わっていて、高い/低いトリック数を目指すのではなく、手札から取れそうなトリック数を言えばいいので、手札によって勝負ができなくなることがない。ミゼールから全トリック獲得までゲームの振れ幅も広い。さらに全員に個別目標があるので、相手の都合を考慮したりそれを邪魔したりすることで、微妙な駆け引きも出る。

このゲームは人気が出たようで、バリエーションが色々ある。ウィザードや、最近流行したスカルキングなどはオーヘルの直系である。
ウィザードはほぼオーヘルで、トランプの52枚に必勝のウィザード4枚と、必敗のジェスター4枚を追加しているほかは、一切変わりがない。これだけでも若干勝負はダイナミックになる。
そのウィザードをもうちょっとカジュアルに改変したのがスカルキングで、切り札を固定し、必勝のウィザードに三すくみを入れている。ビッドという点では、オーヘルやウィザードが順番にビッドするのに対し、スカルキングはビッド値を同時公開する。不確定要素を増やしてゲーム性を若干大雑把にすることで、パーティ的な側面を強くしている。

イグザクトビッドは比較的近年(おそらく20世紀)のメカニクスだが、ほかにもいくつか有名な例がある。一番有名と思われるのはスペードだろう。ペア戦で、両ペアがチームでの勝ち数を宣言する。ペア戦の予想しづらさを緩和するために、サンドバッグルールによってオーバートリックをある程度許容するのが特徴で、累計10トリックオーバーするとマイナス点になる。
パーレットの99は、ビッドを捨て札で行う。スートによってビッド数を指定するため、切り札とビッドしたい数とがうまく一致しない中で手札管理を要求するところに独自性がある。

イグザクトビッドはやっていることが基本的に変わらないため、いずれも根本的な楽しみどころは同じなのだが、上に紹介したようなゲームはどれも人気がある。少ないディール数でも楽しみが把握しやすいところは、遊べるテーブルゲームが増えてきた近年の傾向と相性がよいだろう。
とはいえこのメカニクスにも欠点はあり、たとえば絵取りとは相性が悪い。ドイツのスカート系のゲームでは絵札に点数が振ってあり、Aは11点、10は10点という具合である。これを予想であてるのが困難なのは明らかであって、ビッド対象は必然的に、コントロールしやすいトリック数を対象にせざるをえないだろう。
あとは、これを欠点といえるかどうかは知らないが、ゲームプレイの強度が比較的一定なので長時間プレイに適さない。あくまで筆者の印象だが、ずっと同じことをやっているため飽きやすい。これは毎回デクレアラーとして楽しめるという長所とトレードオフなので、致し方ないところはある。

それよりも、トラディショナルなビッドとの対比で注目したいのが、このシステムにはルールの上乗せがしづらいという点だ。全員のビッドが等しく成立するため、切り札を変えたり宣言を上乗せしたりというのが、デクレアラーを決めるビッドに比べて大きく制限される。競りを経ていないため、個人に対する特権がつけづらいのだ。
99では通常のイグザクトビッド以外に、勝ち点を30〜60点増やすプレミアムビッドというのがあり、手札公開やビッドカード公開などの制限をつけられるが、これは通常の競り方式でビッドする。そういうふうにハイブリッドでいかなくては、目標の多面化がしづらいところがある。
そもそもビッド数しか宣言しておらず、プレイヤーがルールに何の変更も及ぼしていない。先の表現でいうと、このビッドは二階から一階に降りている。メタ的な制御をなくし、その代わり全員に目標を与えることでゲーム上の競争を担保しているので、メカニクスはむしろ単純になっている。

だから画期的なシステムである一方で、案外振れ幅は狭く制限も多い。これは一長一短であろう。


ビッドは何をさせてくれるか


トリックテイキングのビッドを大きく2種類に分けて、それぞれについていくつかのパターンを見てきた。

プレイヤーの立場からみると、トラディショナルビッドのゲームでは最初は特に、手札が整うまでビッドがしづらい。デクレアラーの機会がなかなか回ってこず退屈だと感じることもある。中途半端な手札で勝負するのには勇気がいる。メカニクスが多いほど、それを使いこなすのにある程度の習練をどうしても要する。ある程度長いスパンで何ディールもかけて楽しむゲームである面は、否めない。
その代わり展開の幅は広いし、ビッド次第で勝負をいかようにも操れる。3〜4人戦なら、オポーネントとして相手をダウンさせる楽しみも十分にある。デザインの視点では、どうビッドをさせやすくするか、どんな要素をビッドの対象にするかで、ゲームの幅を広げやすい。ビッドの仕組みが、それをすべて一元的な競りへと集約してくれる。
競り本来のギャンブル性に加えて、手札や所持金のマネジメント、相手の手札予測やブラフ、カウンティング、色々ある。その多くがシンプルなビッドに集約されているからゲーム構造自体はむしろ易しいのであって、ブリッジやスカートがずっと遊ばれ続けているのは理由のないことではない。

イグザクトビッドは長所も欠点もその逆である。プレイへの敷居は低く、単純なビッド数のなかにも自分と相手両方に対する戦いが仕込まれていて、勘所をつかみやすい。デクレアラーをやる楽しみはトリックテイキングの基本であるので、そこを毎回経験できる面白さは普通のビッドにはなく、だからこそオーヘルやスペードは人気が高い。
その代わり、ビッドは固定的であり、ゲームの多様性という面では若干負ける。変化を持ち込むなら、何かしらの仕組みを新たにデザイン側で用意しなくてはならないだろう。イグザクトビッドは比較的出尽くしている感があり、煩雑でない範囲でどう要素を追加して新しさをもたせるか、というのがポイントになると思う。

遊ぶにせよ作るにせよ、トリックテイキングへの見方として、どのようなシステムが乗っているかだけではなく、それをどこで制御しているかというのは考えておきたい。
切り札やランク強弱といった勝負の序列、得点を上乗せする手段、あるいはラフ/スラフのしかたなど、どのような要素をどれだけ追加するか。追加した手段を何をもってコントロールするか。トラディショナルなビッドは実績のあるシステムであり、ゲームとしての安定を担保できる。近年あまり流行らないが、伝統的なメカニクスを知っておくことは、特に創作では決して無駄にならないと思う。
逆にビッドを採用しない場合、それに代わるメカニクスでルールコントロールができるか、という視点で考えるのは面白いだろう。もしかしたら、新しい種類のトリックテイキングへのヒントがある、かもしれない。





この記事は「Board Game Design Advent Calendar 2016(ボードゲームデザイン・アドベントカレンダー2016)」の、15日目の記事として執筆されました。なのに公開が1日遅れてしまいまして、すみません、ほんとに。

<2016/12/16>

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