飴と鞭




 この記事は、Board Game Design Advent Calendar (BGDAC) 2020の14日目の記事です。

 ゲームルールを実装するときの考え方について喋ります。実用寄りの、経験的な話をします。

ゲームに必要な2つのもの

 これが今回の主題である、飴と鞭です。

 まず原則の話をします。飴はプレイヤーにとって楽しいもの、鞭は苦しいものです。本来はゲームってもちろん楽しいものですが、プレイ感想でよく「悩ましい」という言葉が出てくるように、プレイヤーは「苦しくも楽しい」状態を経験してこそ楽しさが、快がより増加します。ただうっすら楽しいだけだとプレイ体験は平板になるので、苦しさと楽しさを適切にフィードバックループさせてこそ、ゲームの体験に立体感が生まれます。
 プレイヤーはマゾヒストです。よく冗談で「マゾいゲーム」と言ったりしますよね。あれはゲームの本質であって、苦しみから楽しみに至る、さらにプレイヤーの練度が上がれば苦しみのなかに楽しみを予期して見出す、それがゲームプレイの快楽です。

 最高の快は端的にいえばゲームに勝利することです。ですから、アゴン(競争)であるところのゲームには本来的に快がビルトインされています。ですからデザイナーの仕事は、その快への道、勝利への道をいかに苦しくもプチ楽しい、だんだん気持ちいいようにデザインするかです。したがって作るのは必然的に飴よりも鞭のほうの割合が大きくなります。
 ですので、まずは鞭の打ち方について先に考えてみるとしましょう。

さまざまな鞭

 今年のトリックテイキングのアドベントカレンダー記事でも書きましたが、私のデザインの基本は、迷ったらプレイヤーが苦しいほうを取る、です。

 まず、選択肢を絞る。例えばクニツィアの名作『バトルライン』ありますよね。『ロストシティ』でもいいです。あれ、手札から出して引くんですよ。引いて出すんじゃない。ゲーム進行上どちらに実装しても支障はないのに先に出させるのは、プレイヤーに苦しんでほしいからです。逆に優しくしたかったら引いて出すんですけど、多分それだとあのジリジリ感は減るんです。不確定な状態で「次に9が来たら勝てる、9来い!」と念じて引いて、3とか5とか半端な札が来たときの絶望感ね。あれはいいものです。愉しくて背骨のあたりがゾクゾクしますよね。

 基本技術としては他に、プレイヤーがやりたいことを一気にやらせない、というのがあります。端的な例に『よくばりハムスター』というカードゲームがありまして、カードを集めて得点化するゲームです。あれの手番アクションは「カードを場の1ヶ所から手札に入れる」「手札から同スート同ランクのカードをまとめて手前に置く」「手前に置いたカードを裏返して得点化する」の3つです。点数の獲得に3手順必要で、なのに1手番のアクションは2回です。1手番じゃやらせねえよ、と言ってるわけですね。点数という快楽を遅延させる、つまり焦らすんです。1回じゃ満足させないよ、ほら次だよ、どう? 待たされるの気持ちいいでしょ? っていう。
 名作『プエルトリコ』も基本構造は同じで、得点への経路がより複雑化されています。(1)生産施設を建築し、(2)プランテーションを作り、(3)施設とプランテーションに労働者を置き、(4)監督して生産させ、建築にはお金が要りますから(4')商店で産品を売り、(5)船でポンポン出荷する。これでやっと勝利点がもらえます。5ステップ! しかも序盤から出荷しても点数しょぼいから(1)~(4')の往復が入って、焦らして焦らしてやーっと勝利点ですよ! このプレイはマゾいですよ、そりゃ素人にはおすすめできない。
 ゲルツのロンデルもそうですかね。あれはアクションを分割してウォーゲーム的構造への導入を易しくする効用がある(とどこかで読んだ)んですが、1回1アクションかつロンデルの届く行先に絞ることでプレイヤーを縛るほうにも作用しています。後半たまーに飛ぶことができるのが、その分余計に気持ちいいわけですね。アクションの分割です。分割すごく大事です。
 勝利点の獲得経路を分割・複雑化することには、勝ち筋の多様化、得点効率の複雑化による隠蔽、いろいろ効能があるんですが、根幹にあるのはゲーム進行の遅延、快楽の遅延です。この経路の長さや分岐の多さによってゲームの重量感を調節します。あまり遅延が長すぎるとプレイヤーが我慢できなくなってゲームの楽しみが損なわれるので、途中途中で細かいフィードバック(往々にして資源の獲得、能力の獲得が使われます)を入れて、プレイヤーをちょっとだけ感じさせてあげることが大切です。
 さっきから口調がおかしい? 次いきましょうか次。

 もうひとつ、ゲーム内リソースを削減する、という方法も基本です。
 ワーカープレイスメントでワーカーが漸増したり、1マスに1ワーカーしか入れなかったりするのは極めて典型的なリソースの削減と奪い合いの構造で、単純で真似がしやすいから流行るんですね。あ、話は逸れるんですがワーカープレイスメントっていうのはアグリコラっぽい見た目から帰納的についたメカニクス名で、見た目とメカニクス実装が元々分離してない名称だから演繹的に定義づけを試みても意味は薄いっす! リソース配分の一形態として、実際の応用例や分類を考察して「いかにプレイヤーを甘やかしつつ苦しめるか」をリゾー……多様化させたほうがいいです! 余談でした。
 ワレスの借金も似た機能を持ちます。借金の苦しみから始まって債務完済したときのカタルシスはTVをつけて法律事務所のCMを見れば明らかです。ゲーム内リソース(お金)は現実の金銭と違って相対的な価値しかありませんから、あの借金は実はプレイヤーに対する一種の詐術です。30金多く持たせてスタートさせてもほぼ同じ実装はできます。それを借金と呼ぶのはプレイヤーに心理的圧力をかけるためのものであり、つまり、ゼロポイントをずらすだけでプレイヤーに対して異なる印象をもたせることが可能なんです。
 自作の例も恐縮ですが出してみます。『三津浜』という競りゲームを2019年に作りまして、競りだからお金カードをプレイヤーに持ってもらうんですけど、同人の宿命でカード枚数が少ない。するとプレイヤー間の支払時にお釣りがうまく出せないことがある。ではどうしたか? 出せないんだったら出さなきゃいーじゃん!! 足りないのをコマでちまちま管理させてもよいけど、煩雑になる。だったら「お釣りは払わなくていいよ」とルールに書いちゃうんです。ですから実装の理由は完全に大人の事情ですが、インスト時には「皆さんは海の男ですから、お釣りとか細かいことは気にしません」って適当にハッタリぶち上げてます。これは競りで相手の紙幣が足りないとき、足元を見るジレンマとしても機能します。コンポーネントは削れるしジレンマは作れるし、いいことずくめ!
 この「足りないコンポーネントをジレンマに逆用する」のはOKAZU Brandの林尚志さんの『セイルトゥインディア』に強く影響を受けました。昔やったのでうろ覚えですが、プレイヤーのリソースであるコマを船とか資源管理とか色々に使って考えさせるのが衝撃でした。『三津浜』の倉庫番コマはそれをより簡略化した借用で、フリーゼの『ビール侯爵』において建物を勝利点に変換してゆく(ことで終盤にリソースや選択肢が減る)負のフィードバックとの合わせ技にしています。(『三津浜』の倉庫番は一応置いた後戻すことも可能ですが、あれはただの手詰まり防止のデバッグであって実際には使われません。機能上は完全な負のフィードバックです。)

 そうやって、実装するとき、細かく細かく意地悪を作ってあげるんです。ルール側からの例を主に説明しましたけど、プレイヤー同士でも間接的に意地悪できるような仕込みを入れてあげたりとかすると(「間接的」はドイツゲームの大事なキーワードです)プレイヤー間でもハプニング的SMが発生しますから、セッションが多様化します。プレイヤー間のインタラクションが大事なのは、遅延や苦痛の体験をより立体的に仕向けてあげるためです。それがプレイヤーのリアル人間関係と絡んで火花を起こし、セッションを魅力あるものにしてくれるのです。
 私が性格チョー悪いのはお会いした方なら皆さんご存じの通りですが、ゲームデザイナーはいい人じゃダメです。性格悪くないとダメです。プレイヤーをいかに困らせるか、どれだけ焦らして焦らして愉しませるか、それを常に考えてデザインするのが大事だと思います。

たまに飴

 ま、そんな訳ですから正直飴とかあんまり興味ないんですけど、話の行きがかり上喋らない訳にもいかないので少しだけ書いておきます。

 飴というのはフィードバックです。あるいはそのための選択です。プレイヤーにコントロール感、達成感を与えることがゲームには絶対に必要で、これは特にゲーム途中において注意深くデザインする必要があります。
 ダイスゲームで「決めてから振る」か「振ってから決める」かはその最たるもので、ダイスは独立試行ですから、チンチロリンみたいに完全な運ゲーでは選択の意味がないんです。だからあれはギャンブルゲームなのであって、ゲーム外のリアルマネーによって初めて選択に積極的な意味を感じさせる構造になっています。(ですのでギャンブルがゲームではないという言説に私は反対で、メタ構造込みでゲームとして論じるに値すると思いますが、我々ユーロゲームデザイナーが積極的に実装すべきメカニクスではない、という意味では賛成です。)
 なので、これは私の好みですが、選択をしてからダイスを振らせるゲームは遊ぶのも作るのも苦手で、振ってから選択させるゲームのほうが好きです。この「選択」がプレイヤーへの飴です。ダイスという鞭をプレイヤーにくれて、その上で選択の自由は与える。『三津浜』も振ったダイスを選ばせて競りにかけさせていますし、今年発表した無料紙ペンゲーム『グッド・シェパーズ』でも、振ったダイス目を使って考えさせるようにしました。これは私がバックギャモンの初級プレイヤーであることの影響です。振った目に一喜一憂する射幸感は薄れますが、それを承知したうえで選択の自由を重視するスタンスでいます。ダイスによる入力→プレイヤーのアクション選択による出力、の順です。先に入力を与える。基本です。

 ここで最初にとりあげた『バトルライン』に戻ると、あれって実はプレイヤーがカードを出す「出力」が先で、カード引きという「入力」が後ですよね。さっきのダイスゲームの例と逆です。これが成立するのは、カードというリソースが従属試行だからです。場に展開されたカードや自分の手札によって期待値的なものが変わる。だから限られた手札からの選択に根拠がちゃんとある。ダイスと違って、同じ手札でも序盤・中盤・終盤でぜんぶ意味が違うんです。プレイヤーに十分な選択が与えられているから、入力を先にやらせても問題ありません。

 ほかにも飴の例はいろいろあって、中間決算で点が取れる、資源が増える、能力(これも広義ではリソースだけど言いたいことはわかるよね)が増える、そういうちょっとした報酬は大事です。プチ達成感。プチ快感。注意しなきゃいけないのは、勝利へのレース状況って基本は隠蔽しておいたほうがよくて、差を可視化するとプレイへのモチベーションが削がれます。初手が敗着であとは90分マシーンのごとくプレイしていたっていうあれです。飴は露骨に勝利に絡まないほうが良い。
 私がこの例で個人的に好きでないのが『バロニィ』で、理由は初回プレイで初期配置を見誤って初手で村を燃やされて60分地蔵になったという完全な私怨なのですが、あのゲームで一定の点数取ると爵位が上がるじゃないですか。あれ飴なんですよ。負けたプレイヤーに対してもあなたはここまで達成しましたよ、というご褒美。でも私あれは露骨な誤魔化しだと思っていて、プレイ中は完全アブストラクトで牽制し合うから全員ある程度均等に進行するので、騎士捨てて盤端に飛ぶ以外にゲーム的な逆転手が打ちづらいんです。だから最初に出遅れると、あとはその差がずっと保たれたまま全員平行で爵位が上がるだけ。ゲームによって爵位を貰わされているだけ。「負けちゃったけど、このくらい点数取れて満足したでしょ?」とゲームに言われているようで、個人的にはすごく気分が悪いんです。逆転の目など最初からなかったのに。
 カタンは初期配置に失敗しても資源の融通でぎりぎりワンチャンあるんですよ。もちろんインタラクションによるヘイトと紙一重なんですけど、そこにカタンの懐の広さがある。バロニィは良くも悪くもモダンユーロ系だから救済が薄くて、もちろんビッグボックスが出るようなゲームですから魅力を備えていることは承知していますが、モダンユーロの功罪を考えずにいられません。

 つまり、直接攻撃や取り合いがあるゲームにおいて、あまり負けたプレイヤーに半端な救済を与えるのは考えものです。大勢が見えた状態で飴を与えると逆効果になる可能性がある。そうではなく、勝利条件を、レースの中間結果をほどほどに隠蔽しながら、プレイヤーに見えるところで最大限の達成感を与える。最後まで逆転可能性を信じさせてあげる。難しいし、なんていうか自分もこちらは試行錯誤の最中なんですけど、あくまで原理原則としてですが、そんなことを思います。

そんなわけで

 自分が考えて使っているデザイン技術と具体例をあげてみました。結論はありません。パクれるものが1つでもあって使っていただければ何より幸いです。

 最後に自己紹介を載せておきますね。タルトゲームズという個人サークルで小品をちまちま作ってます。代表作『サン・ジミニャーノの塔』『三津浜』『シンカー』『サザンプトン』、アレンジ作品『ソムニア』『ラミーファイブ』『2人用大富豪』、ネタゲー『ゴーンぎつね』『あつトリっ!!』『森の友だち』『ヒラリアス・ストラグル』などです。
 最新作『サン・ジミニャーノの塔』、テンデイズゲームズ様ほかで国内委託が始まりましたので、よかったら買ってね! 同数か連番のカードで塔を建てるゲームで、建てると塔を壊すとかの特殊効果が降ってきます。この効果、制作初期は当然「相手の塔を壊す」にしてたんですけど、ふと思い立って「自分の塔も壊れることがある」に無駄に変えたりしたよ! こういう意地悪が大好きなデザイナーです。アデュー!




<2020/12/14>


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